Kotlin のインラインクラスを使用すると、パフォーマンスに悪影響のないプリミティブ型ラッパークラスを作成することができます。
プライマリコンストラクタで 1 つの値(プロパティ)のみを受け取るクラスは、次のように inline
キーワードを付けてインラインクラスにすることができます。
inline class Name(private val name: String)
このインラインクラスは、通常のクラスと同様に次のように使用します。
val name: Name = Name("Maku")
違いはコンパイル後のバイトコードに現れます。 上記のコードはコンパイル時にインライン展開され、次のようなコードを記述したのと同様に扱われます。
// コンパイル後のコード
val name: String = "Maku"
つまり、コンパイル時は具体的な型(Name
型)で型チェックを行いつつも、実行時にはプリミティブ型になっているのでパフォーマンスが悪化しない、といったことが実現できます。
現状、インラインクラスは、init ブロックを持てない、バッキングフィールドを持てない、といった制約がありますが、単純な getter プロパティや関数を持つことはできます。
inline class Name(private val name: String) {
val length: Int
get() = name.length
fun greet() {
println("Hello, $name")
}
}
val name: Name = Name("Maku") //=> val name: String = "Maku"
name.greet() //=> name.greet() ???
上記の name
変数はコンパイル時に String
オブジェクトに置き換えられるので、name.greet()
の部分でエラーになりそうですが、コンパイラがうまいこと静的関数を生成して問題なく動作するようにしてくれます。
上記のコードは次のようなコードにコンパイルされます。
val name: String = "Maku"
Name.`greet-impl`(name)
同じ型のパラメータを複数取る関数を作ると、引数の指定方法を間違える不具合が入りやすくなります。
例えば、次の searchBooks
関数は 2 つの Int
値を受け取ります。
fun searchBooks(authorId: Int, genreId: Int): Array<Book> {
// ...
}
2 つのパラメーターは両方とも Int
型なので、次のように順序を間違えて呼び出してしまってもコンパイルエラーになってくれません。
実行時にもすぐには分からず、潜在的な不具合を埋め込んでしまう可能性があります。
val authorId: Int = getAuthorId()
val genreId: Int = getGenreId()
val books = searchBooks(genreId, authorId) // 間違い!
次のように名前付き引数の構文を使えば、コード上は分かりやすくなりますが、相変わらず型情報は同じ Int
なので、型安全性が高いとは言えません。
val books = searchBooks(authorId=authorId, genreId=genreId)
そこで、次のようにインラインクラスとして AuthorId
型と GenreId
型を定義します。
inline class AuthorId(private val authorId: Int)
inline class GenreId(private val genreId: Int)
fun searchBooks(authorId: AuthorId, genreId: GenreId): Array<Book> {
// ...
}
こうすれば、それぞれの ID が異なる型として定義されるので、引数の指定ミスはコンパイル時に確実に発見できるようになります。
val authorId: AuthorId = ...
val genreId: GenreId = ...
val books1 = searchBooks(authorId, genreId) // OK
val books2 = searchBooks(genreId, authorId) // Error!
しかも、上記のインラインクラスは実際には Int
型として扱われるため、単純なラッパークラスとは違って Unboxing(AuthorId
から Int
への変換)のオーバーヘッドがかかりません。
つまり、速度を犠牲にせずに、型安全性を確保できます。
長さ(m/cm/mm)、時間(時/分/秒)、ファイルサイズ(mb/kb/byte)などの単位をともなう情報は、多くの場合は Int
や Long
などのプリミティブ型で表現されます。
このような場合、単位を表現するラッパークラスを作成すると、単位の間違いによる不具合を防ぐことができます。
まずは、すべてプリミティブの Long
型だけで済ませた例から見てみます。
次のコードは、時間を表す time
が、「秒」と「ミリ秒」の 2 つの意味で使われてしまっています(不具合です)。
import java.util.concurrent.TimeUnit
// ラピュタ崩壊までの残り時間を取得
fun getRemainingTime(): Long {
return 100 // 100秒のつもり
}
// ラピュタ崩壊までのカウントダウンを開始する
fun startTimer(time: Long) {
TimeUnit.MILLISECONDS.sleep(time) // time を「ミリ秒」として扱う
println("バルス!")
}
fun main() {
val time: Long = getRemainingTime()
startTimer(time)
}
getRemainingTime()
が返す値は「100秒」を表現しているつもりですが、この値をそのまま startTimer()
に渡すと「100ミリ秒」として扱われてしまいます。
ラピュタ崩壊までいくらかの猶予(100秒)があると思っていたら、一瞬(100ミリ秒)でバルスされてしまうことになります。
このようなミスは、関数名やパラメーター名の工夫である程度防ぐことができます。
fun getRemainingTimeSeconds(): Long {
// ...
}
fun startTimer(timeMillis: Long) {
// ...
}
しかし、すべての関数やパラメーターにこのような単位名を付けようとすると、コードが全体的に冗長になり、可読性が下がってしまいます。 それに、ID の例でも示したように、名前で単位を示すのは型安全性という面では不安が残ります(万が一、誤用してもコンパイルエラーになりません)。
そこで、インラインクラスを使ったラッパークラスの出番です。
次の例では、秒を表現する型 Seconds
と、ミリ秒を表現する型 Millis
を定義しています。
// 秒を表現する型
inline class Seconds(val seconds: Long) {
fun toMillis() = Millis(seconds * 1000)
}
// ミリ秒を表現する型
inline class Millis(val millis: Long) {
// ...
}
fun getRemainingTime(): Seconds {
return Seconds(100)
}
fun startTimer(time: Millis) {
TimeUnit.MILLISECONDS.sleep(time.millis)
println("バルス!")
}
fun main() {
val time: Seconds = getRemainingTime()
startTimer(time.toMillis())
// startTimer(time) // これは型のミスマッチによるコンパイルエラー
}
これで、時間情報を受け渡す各ポイントで型情報のチェックが入り、異なる単位の時刻情報が受け渡しされてしまうのを防ぐことができます。
もし、Seconds(100)
のような記述が煩わしいと思うのであれば、次のように Long
の拡張プロパティを定義してしまう方法もあります。
こうすれば、独自の数値型がもともと言語に備わっているかのようにコーディングすることができます。
// Long に拡張プロパティを追加
val Long.sec get() = Seconds(this)
val Long.ms get() = Millis(this)
// 使用例
val timeMillis: Millis = 50.ms
50
と記述する代わりに、50.ms
と記述するだけで Millis
型のインスタンスを扱えます。
Kotlin の typealias
を使うと、既存の型のエイリアスを作成することができます。
typealias Seconds = Long
typealias Millis = Long
この仕組みを使うと、インラインクラスを使った場合と同じようなコードを記述できますが、意味はまったく異なります。
インラインクラスが新しい型を定義しているのに対し、typealias
はあくまで別名を付けているだけです。
つまり、上記のように定義した別名 Seconds
と Millis
は、Long
と等価(同じ型)の扱いになります。
typealias Seconds = Long
typealias Millis = Long
fun getRemainingTime(): Seconds = 100
fun startTimer(time: Millis) {}
fun main() {
// Seconds を Long に入れてもエラーにならない!
val seconds: Long = getRemainingTime()
// Long を Millis として扱ってもエラーにならない!
startTimer(seconds)
}
このような場面で型安全性を確保するには、typealias
で別名を付けるのではなく、インラインクラス(によるラッパークラス)で新しい型を定義する必要があります。
既存の Int
変数などをインラインクラスに置き換える場合は、toString()
の戻り値が変化することに注意してください。
例えば、下記のように Int
変数の toString()
を呼び出している部分があるとします。
val n = 100
val s: String = n.toString() //=> "100"
これを、インラインクラスに置き換えると、toString()
の値が次のように変わります。
inline class GenreId(val value: Int)
val n = GenreId(100)
val s: String = n.toString() //=> "GenreId(value=100)"
このような振舞いの変化を防ぎたい場合は、次のように toString()
をオーバーライドしておくと安心です。
inline class GenreId(val value: Int) {
override fun toString(): String = value.toString()
}
val n = GenreId(100)
val s: String = n.toString() //=> "100"
インラインクラスは現状 Experimental feature として提供されているので、使用しようとすると、
The feature "inline classes" is experimental
といった警告がでることがあります。 インラインクラスが正式リリースされれば、この警告は消えるのでそのままにしておいてもよいのですが、気になる場合は次のように警告を抑制することができます。
@file:Suppress("EXPERIMENTAL_FEATURE_WARNING")
@Suppress("EXPERIMENTAL_FEATURE_WARNING")
inline class CategoryId(val id: Int)
# build.gradle
compileKotlin {
kotlinOptions.freeCompilerArgs += ["-Xinline-classes"]
}
# build.gradle.kts
tasks.withType<org.jetbrains.kotlin.gradle.tasks.KotlinCompile> {
kotlinOptions.freeCompilerArgs += "-Xinline-classes"
}
いずれも、Android Studio を使用している場合は、inline
にカーソルを合わせて Alt + Enter
で自動入力できます。
次のように 1 ファイル内でたくさんインラインクラスを定義している場合、detekt などの静的解析で警告が発生することがあります。
package com.example.myapp
inline class GenreId(val id: Int)
inline class EventId(val id: Int)
class GenreId should be declared in a file named GenreId.kt
例えば、detekt であれば、@Suppress アノテーションを使ってこの警告を抑制 することができます。
@file:Suppress(
"MatchingDeclarationName", // 「ファイル名=公開クラス名」のチェックを抑制
"EXPERIMENTAL_FEATURE_WARNING" // inline class の experimental 警告を抑制
)
package com.example.myapp
// ...